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トヨタ自動車(TOYOTA)の歴史

豊田佐吉氏の考え方が原点


一昔前だと、自家用車を所有するということは、非常に贅沢なことでした。
それだけ、人の夢が詰まった結晶だったのです。
現在では、大多数の人が、自動車を所有しており、家庭に1台は所有するという裕福な時代となりました。
それだけ、人の夢が詰まった自動車ですが、日本、そして、世界において、確固たるポジションを築いたのが、トヨタ自動車です。
トヨタ自動車は、日本が世界に向けて、誇れる自動車メーカーなのです。
トヨタグループの発祥地に立っているトヨタグループ館は、1925年に設立された旧豊田紡織株式会社本社事務所を修復したものなのです。
豊田紡織株式会社は、現在のトヨタ自動車の前身となった会社です。
その豊田紡織株式会社を立ち挙げたのが、創業者豊田佐吉氏です。
その佐吉氏のものづくりの考え方を引き継ぎ、自動車事業を展開していったのが、豊田喜一郎氏です。佐吉氏が、目指していたのが、動力織機の開発です。
自動化するだけではなく、出来上がりの良品質を維持することをコンセプトとし、開発を行いました。
この佐吉氏の良品質への考え方は、喜一郎氏に多大な影響を与え、トヨタ生産方式の礎となったのです。
そして、その考え方は、現在のトヨタ自動車の生産にも、活かされているのです。

関東大震災によって認識された自動車


皮肉な話ですが、災害が新たな技術を生むきっかけとなることもあるのです。
1923年9月1日に発生した関東大震災が、自動車を認識するきっかけとなるのです。
関東大震災において、鉄道は壊滅的な大打撃を受け、鉄道は役立つことが出来ませんでした。
そこで、当時、贅沢品であった自動車が大活躍をし、実用的であり、利便性があるものである、と認識されるようになったのです。
その10年後の1933年9月に、豊田自動防織製作所に、自動車部門が設置されました。
喜一郎氏にとって、自動鞘と切っても切れない日だったのです。
背景には、既存の自動織機に紡績機械が加わったことにより、業績が向上し、先行きが明るくなった面もありました。
喜一郎氏は早速、自動車部門を設置し、自動車試作の準備に取り掛かりました。
喜一郎氏は、渡米し、自動車製造用工作機械を購入し、自社で自動車の研究を行い、本格的に国産自動車生産が出来る道のりを始めたのです。
もちろん、自動車試作への道は平坦なものではありませんでした。試作工場と精工所は、1934年に完成します。
そして、1936年9月19日に自動車製造事業法が交付されますが、豊田自動織機械製作所は、自動車製造事業法認可申請書許可会社の認定を受けることになります。
そして、1937年、豊田自動織機は、トヨタ自動車株式会社を設立します。歴史は始まったのです。

トヨタ自動車は世界2位の販売台数を誇る企業


現在では、販売が好調であり、経営が安定しているトヨタ自動車であすが、戦後のデフレ状態の時に経営危機に陥ったこともありました。
1950年には、喜一郎氏が社長を辞任し、帝国銀行(現在の三井住友銀行)を中心とした銀行用の緊急融資条件として。
トヨタ自動車販売株式会社が設立され、トヨタ自動車工業株式会社とトヨタ自動車販売株式会社に分離します。
工業と販売が分離していましたが、また、歴史は動き、1982年に両者は合併し、トヨタ株式会社となり、現在に至ります。
現在のトヨタ自動車は、ゼネラルモータースグループに次ぐ世界第2位の販売台数を誇る日本を代表する企業となりました。
日本は戦後、高度経済成長期を迎え、人々の収入が増え、生活が豊かになったことを実感するわけですが、トヨタ自動車の自動車を購入することが、その時代のステータスでもあったのです。
たくさんの人の夢が詰まった宝物は、トヨタ自動車が苦難と難産の末に、産んだ夢の結晶であったのです。
それは現在でも、輝き続けています。

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